定常型社会

「定常型社会」についてのメモ。定常型社会とは…
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広井良典『定常型社会』 †

広井良典『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書

 こうした状況を受けて、最近巷ではマスコミの報道を含めて失業問題に関する議論が実に活発になっている。そして、ほぼすべての場合、それらはいわゆる「景気回復」のためには何が必要かという議論とセットになっている。けれども筆者が見る限り、そうした議論のほとんどは、「そもそもなぜ失業が発生するのか」、「失業をゼロにするということが本当に可能なのか」といったいちばん基本にあるはずの本質論をとばして、枝葉の議論に終始しているように見える。

ケインズ的失業対策の限界 †

  • まず重要なのは失業と「経済成長」との関係である。従来、考えられてきた基本的なシナリオは次のようなものだった。
    • まず失業が現に存在しているとする。これは、現在の経済の規模が必要とする労働力よりも多数の労働力人口が存在するからだ。ということは、失業をなくすためには経済の規模を大きくすること、つまり経済成長が必要である。ところで経済成長の究極の源泉は人々の「需要」にあるから、経済成長のためには人々の需要が拡大しなければならない。そのためには、政府が一定の公共事業などを行って(経済学的にいうと「市場」では十分に提供されない公共財の提供などを行って)人々の需要を新たに喚起ないし“刺激”する必要がある。これがいわゆるケインズ政策と呼ばれる発想であり、実際に第二次大戦後こうした政策が各国で行われてきたのだった。
    • しかし、そのようにして政府の政策によって経済成長が現に実現し、いったん失業がなくなったとしても、続いて次のことが起こる。それは労働生産性の上昇であり、これは「人々が一定時間に働いて出来る生産物が増えること」である。これは一見よいことにも見えるが、同時にゆゆしき事態でもある。
    • 単位時間あたりの生産物が増えるのだから、みんなが同じ時間働いていれば以前よりたくさんのモノができることになり、その結果労働力は余ってしまう。失業が再び発生するわけだ。しかしここで立ち止まってはいけない。ならば、また人々の需要を拡大して「経済成長」を図ればよいのである。経済成長というのは人々が豊かになることだから、これを繰り返し続けていけばよい。
    • こうして、「失業の存在→政府による需要喚起→経済成長→失業の解消→労働生産性上昇→再度の失業の発生→需要喚起……」というシナリオが描かれた。まさに「経済成長と労働生産性上昇の無限のサイクル」であり、これがケインズ以降の資本主義の基本的な論理となったのである。このような発想のもとで、実際に持続的な経済成長を続けてこられたのが戦後のある時期までの先進諸国であり、とりわけ日本がその最優等生だった。
    • 言うまでもなく、このサイクルが本当に無限に続くのなら、何の問題もない。政府の政策としては、何らかの手段を通じて「成長」が起こるような方策を続けていればよい。けれども、こうした無限のサイクルが続かなくなった、というのがある時期から顕著になった事態なのである。その理由は、経済成長の源泉である人々の「需要」が一種の成熟ないし飽和状態に達し、いくらでもそれを拡大させることができるという発想がうまく機能しなくなったということだ。

豊かな社会とは? †

  • 「定常型社会」とは、一言でいうならば「経済成長を絶対的な目標としなくても十分な豊かさが達成されていく社会」のことであり、ゼロ成長社会といってもよい。
  • 定常型社会ということは、人々の需要が飽和しつつあるということに加え、少子・高齢化の中で日本の人口が二〇〇六年をピークに(明治期以降初めて)減少に転じるという事実とも、また環境問題の顕在化という状況とも深く関連している。
  • この定常型社会ということをこれからの社会の基本的な姿ととらえることで、私たちは「成長し続けなければならない」という根拠のない前提から解放され、無用の落胆や多くの意味のない政策から自由になることができるのである。
  • このような時代においては失業問題に対してどのような対応をとるべきか?
    • まず重要なのは、「(失業問題の)成長による解決」という発想を捨てることだ。需要拡大がほとんど見込めない時代に、失業解決に必要だからといって政府が公共事業等の“景気刺激策”を続けても、それは借金の山と将来世代へのツケを拡大させ事態を悪化させるだけである。重要なのは、次のような全く逆の発想に立つ対応なのだ。
      • ある程度(五〜一〇パーセント程度)の「失業との共存」という発想をもち、失業保険の充実や職業訓練・転職支援等のいわゆる積極的雇用政策の強化を図っていくことだ。つまり失業に関する社会保障システムの強化であり、これはヨーロッパに比べて日本がもっとも不足している領域である(日本の場合、“生活保障”という本来社会保障が担うべき役割を公共事業が担い、かえって事態を悪化させてきた)。ちなみに、こうした社会保障の整備は現在のような国民の将来への「不安」をやわらげ、消費拡大につながる可能性もある。
  • 負のサイクルを断ち切る労働時間の短縮
    • あわせて重要なのは労働時間の削減である。これは先ほどの「経済成長と労働生産性上昇の無限のサイクル」と深く関わっている。つまり「需要拡大→経済成長」が想定しがたい時代には、どこかでこのサイクルを断ち切ることが必要なのだ。
    • たとえば最近フランスは次のような興味深い改革を行った。それは、労働時間を週三五時間に短縮した企業に対し、その社会保障負担を軽減するという政策で、これによって労働時間短縮へのインセンティブを付与するのみならず、失業を減らし(ワークシェアリング効果と社会保障負担軽減による企業の雇用拡大)、他方で労働時間削減を通じて(企業活動の拡大に伴う)環境負荷の増大を抑制するという効果をねらうものである。「経済成長と労働生産性上昇の無限のサイクル」からの脱却を志向する政策といえるものだ。
    • いずれにしても、戦後の日本社会をすべてにおいて規定した「成長し続けなければならない」という前提から自由になり、「定常型社会」というビジョンとともに新しい「豊かさ」の意味を考えていく時期ではないだろうか。





2007-03-10 (土) 21:45:58 (4658d)