帝国主義

「帝国主義」についてのメモ。帝国主義とは…
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imperialism

  • 帝国主義
    • 高度に発達した資本主義のもとで、市場の独占と余剰資本の輸出が行われ植民地支配を拡大していく膨張主義。

「帝国主義」という言葉は、イギリスの保守党ディズレイリ内閣の大英国主義的海外膨張主義を平和協調外交の自由党グラッドストンが批判して用いたのが最初。

「帝国主義」は、独占金融資本という高度に発達した資本主義の段階に対応しており、これ以後「市場の独占と金融の輸出」を伴うヨーロッパ諸国の政策を、一般的にこの言葉であらわすようになった。

産業革命以後自国内市場で消費される以上の大量生産が行われるようになり海外における原料供給地と商品販売市場の独占や確保ばかりでなく、余剰資本の有利な投資先の確保が目的となった。そのために、国家の役割が重要視されて、経済活動に政治的・軍事的要素が結びつき、1870年代以後、資本主義の未発達なアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ、太平洋地域は、植民地化の波におおわれた。帝国主義諸国が特に狙ったアジア、アフリカでは、まず経済的な、ついで政治的・軍事的な関係が樹立され、保護国化、特殊権益の設定、勢力範囲の設定がなされた。ここに、「帝国主義」による「世界分割」が始まった。

こうした帝国主義的政策は、有力な国家がすべて行ったが、イギリスのアフリカ縦断政策と3C政策、ドイツの新航路政策と3B政策、フランスのアフリカ横断政策などがその代表的なものである。

帝国主義 †

国家が領土や勢力範囲拡大を目指し他民族や他国家を侵略・抑圧する活動・政策。狭義には、資本主義が高度に発達し生産の集積と独占体がつくり出され、資本輸出が盛んになった段階。

19世紀末からこの段階に達した列強は植民地獲得競争に乗り出し、国内では反動政治・軍国主義を、国外では植民地支配と他民族の抑圧を強化させた。

 他国や他民族を、軍事力や経済力、あるいは文化的統制によって有無をいわさぬ支配下におく強権的支配の展開を帝国主義と呼ぶことは、一九世紀前半の英仏の国際政治をめぐる状況下にはじまった。そのさいモデルとして念頭におかれたのは、古代ローマ帝国やナポレオン帝政であった。

 しかし、とくに1880年代から第一次大戦にいたる時期を「帝国主義の時代」と呼ぶ場合には、つぎのような要因が特定される。
 ひとつは、世界分割といわれるほど地球全体で欧米諸国や日本による植民地獲得競争が行われ、その対立がたえず軍事衝突の危険をはらみはじめたことである。それと照応して列強それぞれの国内では、排外主義的愛国主義や膨張主義があおられ、国内不満のはけ口や商品市場、とりわけ産業発展のための原料供給地の確保が唱えられたばかりか、社会ダーウィニズム優生学的観点から「白人の専務」や「文明開化の使命」が侵略合理化のために援用された。先発資本主義国であった英仏ばかりでなく、後発資本主義国のドイツでも世界支配のイデオロギーが台頭する。

 そのような対外膨張政治をうながすものとして、それぞれの資本主義列強の社会経済構造が特徴的に形成されたことがまた指摘される。この時期の植民地拡大の動きは、国内の過剰資本の投下先を求める大金融資本や投資家たちの特殊利益が追求されたものだ、としてイギリス人の帝国主義をいちはやく批判したのは、ホブソンであった。その主張とさらにヒルファディングの『金融資本論』をうける形で、「資本主義の最高投階」に達した独占と金融資本が世界支配確立のための抗争を展開することをもって帝国主義とみなしたのが、レーニンである。
 彼の『帝国主義論』(1916年)は、その後の帝国主義批判に理論的根拠を与えることになる。
 ただしレーニンの帝国主義論は、世界大戦の破局が同時に資本主義体制の究極的破局にほかならないと主張し、ロシアにわける革命の必然性とその運動指針とを明らかにしようとするきわめて強い実践的要請を担ったものであった。その後の研究によれば、1880年代を境にイギリスの植民地政策に大きな変化が生じたとはみなされておらず、それ以前のいわゆる自由主義段階もまた、世界経済の断然トップにいたイギリスの「自由貿易帝国主義」の時代ともみなされている。また拡大した植民地と資本投下先とは必ずしも一致しておらず、植民地獲得が経済的にはプラスと限らないことも明らかにされた。

 第一次大戦は資本主義の崩壊をもたらさなかったばかりでなく、その後、第二次大戦を経て帝国主義はネオコロニアリズム(新植民地主義)といわれる展開をみせ、植民地を直接支配するよりも独立させたうえで政治的・文化的に支配力を維持したり、多国籍企業や開発援助政策を媒介とした経済的支配の方向へと変化している。

資本主義の最高段階 †

 資本主義の歴史的最高段階として19世紀後半に起こった独占資本主義に対応する対外膨張政策。

  • 1880年代に活発化したイギリスの植民地拡張政策を意味する用語として、イギリス内で当時広く使われるようになっていたといわれる。
  • だが資本主義の新たな歴史的傾向・特質を意味する概念として用いられるようになるのは、帝国主義列強間の対立・紛争が激化した世紀交替期から。この頃には、列強による世界の分割ははぼ完了し、同じ時期に成立した金融資本の発展と資本輸出の展開とが、植民地の拡張さらには植民地の再分割の要求と不可分に結びつくようになる。
  • レーニンはこの点に、資本主義の旧来の植民地政策とは異なる特殊な歴史的性格を見出し、それが独占の決定的な役割に依存していることをふまえながら、帝国主義を「資本主義の独占的段階」と定義した。(参照:帝国主義論
  • こうして帝国主義は、金融資本が採る一つの政策ではなく、新しい発展段階の資本主義の特質を総括的に示す用語として確立した。





2007-03-10 (土) 21:45:59 (3700d)