天安門広場で起こった民衆騒乱事件。
中国民主化の星といわれた胡耀邦が1989年4月15日急死した。胡の名誉回復を求める学生たちは天安門広場等に集まるがそれは認められず、29日に当局は逆に学生の動きを「動乱」と規定した。反発した学生たちは民主化要求を掲げ、5月中旬にはゴルバチョフ訪中を照準にハンストに突入した。この間、胡耀邦に代わって総書記に就任した趙紫陽が学生に同情的な態度を示し、デモに市民も加わって100万人規模にまでふくれあがった。党中央は5月20日北京に戒厳令を出して軍を投入した。その後事態はしばらく膠着化するが、6月4日未明、軍隊はついに武力鎮圧を開始し、天安門をはじめ市内のいたるところで軍と学生・市民が衝突する事態が発生した。事件後趙紫陽は解任され、後任には江沢民が就任した。事件による全体的な犠牲者の数については数百から数千まで諸説あり、依然として不明である。現在のところ、天安門事件の名誉回復の兆候はみられない。