天津条約

「天津条約」についてのメモ。天津条約とは…
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天津条約 †

  1. アロー戦争の結果、一八五八年に天津で、清国とロシア・アメリカ・イギリス・フランスとの間で結ばれた四条約。清国内の旅行の自由、キリスト教の信仰・布教の自由、港市の開港などを内容とした。
  2. 甲申事変の結果、一八八五年、天津で伊藤博文・李鴻章(りこうしよう)を全権大使として結ばれた日清間の条約。両国軍の朝鮮撤兵や、将来における派兵の際の相互通告などを内容とした。
  3. 清仏戦争の結果、一八八五年、天津で清・フランス両国の間で結ばれた講和条約。フランスのベトナム支配権が確認された。

1 アロー戦争の結果、1858年に清と英・仏・米・露との間に結ばれた条約。外交使節の北京常駐、内地旅行、開港場の増加、キリスト教の公認などを定めた。

2 1871年に結ばれた日・清両国間の通商条約。

→日清修好条規

3 朝鮮の甲申事変に関連し、1885年に日・清両国間で結ばれた協定。朝鮮からの日・清両軍の撤兵を約し、将来における朝鮮への出兵の条件を定めた。

4 清仏戦争の結果、1885年に清・仏両国間に結ばれた条約。清は、ベトナムがフランスの保護国であることを承認。

●天津条約の内容
1885年の日清間に締結された紳士協定で次の3条を定めた。

…鮮からの日清両軍の撤退
⇔捷餬鎧教官派遣の停止
将来の朝鮮出兵時の相互通告






2007-03-10 (土) 21:46:07 (4658d)