伝統的政治学

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伝統的政治学 †

  • 今日、政治哲学、政治思想史、政治史、外交史、政治制度論、政治機構論などと呼ばれている研究領域は、古くからの政治学の伝統を引き継いでいるもので、伝統的政治学と総称される。
  • 近代の政治学・政治理論は、それ以前のものと異なるものを多く含んでいたが、依然として哲学的、歴史学的な色彩を残していた。そして、市民革命の後は、近代的な法律の体系を整備する必要もあったので、政治学はもっぱら政治制度の学問となり、法律学的な性格を濃くしていた。日本の多くの大学で、政治学が法学部で講義されているのは、その名残り。
  • 政治学は、古代から近代まで変化してきた。ただ古代からこの時期までの政治学は、現実政治を科学的に分析するというよりも、思想として理想的政治の全体像を描いたり、それを規範として正当化したり、そのための制度を工夫するといったものだった。また、総じて知的直観を基礎とする学問にとどまっていた。これを伝統的政治学という。

中世の政治学 †

  • 中世になると、アウグスティヌストマス・アクィナスらが神学的な政治学を展開た。中世ヨーロッパの政治学は、神によって創られた統一的秩序の中に、国家という世俗的世界を限定的に位置づけるものだった。そのため、キリスト教の神学の「侍女(じじょ)」の地位にあったといわれる。

近代の政治学 †

  • 近代に入ると、政治学は大きく変化する。マキャベリが、君主はいかに国家を統治すべきかを説いた「キツネの知恵とライオンの見かけ」を説いたように、それまでの道徳にとらわれない主張をした。彼は外国の侵入を防ぎ、混乱したイタリアの状況を克服するために、確固たる社会秩序を形成しようとしていたのであり、そのためには徹頭徹尾、現実的な議論をしなければならないと考えていた。その結果、政治学に現実的な認識を持ち込むこととなり、近代政治学の開祖とされた。

ホップスは、社会契約説を唱え、国家権力が必要とされる論理を説いた。この点で彼は、近代政治思想の創始者とされる。市民革命の時期には、革命を理論づける政治理論が説かれている。社会契約説は、その代表的なものだが、他にも忘れられてはならない理論がある。17世紀中頃にイギリスでのピューリタン革命(清教徒革命)の際には、信教や言論の自由が説かれている。特にミルトンの『アレオパジティカ』は、言論の自由を擁護した著作として有名。
 市民革命の後は、さらに変化を遂げている。新しい政治体制が求められるようになり、政治学の中心は、どのような政治制度がよいのか、という問題を法律学的な用語で考察するようになった。

近代の政治理論

マキャベリの1532年に『君主論』を著し、近代の政治学の開祖と言われるようになったのは、政治的思考を神学や倫理から開放し、現実的な政治認識に道を開いたから。

政治の世界には、それ自身の法則性があり、政治は自立的な世界であると認識されるようになった。これにより、独立の学問としての政治学の地位が確立された。

自然権
ホップスは近代自然法の考えから、人間は生まれながらにして一定の権利をもつとし、それを自然権と呼んだ。人間は生まれながらにして「自己保存」の権利をもつが、その自然権をよりよく実現するため、契約が結ばれ、国家が設立される、とした。

ロックは、これを受け、自然権を擁護するための抵抗権を説いた。自然権が侵されるような場合には、政府の交代を求めることができる、とした。つまり自然権の思想を市民革命の原理に発展させた。また伝統的自然法は「規範」として作用したのに対して、近代的自然法は「権利」の要求に転換されている。






2007-03-10 (土) 21:46:12 (3697d)