田沼意次

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田沼意次 †

  • 1719〜1788
  • 江戸中期の幕臣。

小姓から身をおこし、将軍家重・家治に仕えて栄進を重ね、1767年側用人、遠江相良藩主となる。

72年第一〇代将軍徳川家治の側用人から老中となり、幕政の実権を掌握。積極的な経済政策を展開、田沼時代を現出した。
一方、物価が騰貴し、賄賂政治が横行

士民の攻撃を受け86年老中を退任。
子の意知(おきとも)が城内で斬られてのち、勢力を失って失脚。

  • 享保の改革で始められた領主権力による商業資本の把握という考え方が田沼時代に継承され、株仲間の拡大、新田開発、殖産興業、貿易拡大と商業資本の積極的利用につながった。田沼時代は享保時代と正反対な時代ではなく、むしろ享保時代に整備された官僚制の成長が田沼台頭を生んだ。

田沼意次の政策 †

  • 10代将軍・徳川家治の時,側用人から老中(1772〜86年)に登った田沼意次は積極的な経済政策を行なったが,賄賂の横行や農村対策の失敗から挫折した。田沼は,現実の商品経済社会を直視し,その成果を吸収しようとしたのてある。
  • 田沼は,株仲間を大幅に許可して,大商人を保護し,運上金,冥加金なとの税収増をはかったぱかりでなく,各種の座を設けて専売制の拡大をはかった。また,新田開発も積極的に行ない,手賀沼や印旛沼の干拓に着手したが,利根川の大洪水によって失敗に終った。他に長崎貿易の制限を緩和して,積極貿易策をとった。しかし,田沼の政策は賄賂による腐敗した政治をもたらし,幕府の統制力を弱める結果ともなった。





2007-03-10 (土) 21:46:13 (4063d)