東亜連盟

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東亜連盟 †

  • 石原莞爾の構想にもとづいて、日本・中国・「満州国」の一体化をめざして1939年(昭和14)結成された団体。
  • 正式名称は東亜連盟協会。1946年解散。

日中戦争期に*石原莞爾が主唱した日中提携の理念。日中戦争の拡大に反対であった石原は,1938年末に<国防の共同,経済の一体化,政治の独立>を条件に,日・満・中の提携を主張した。これに*汪兆銘の<南京政府>が呼応し,39年に東亜連盟協会が設立された。ここには満州国協和会系や*東方会系が参加した。しかし,世界最終戦争を強調する石原派に反発した東方会系が脱退,41年政府は東亜連盟論を禁止した。以後,予備役編入後の石原を中心に活動を継続したが,46年GHQの指令で解散した。

石原莞爾(かんじ)の指導のもとに石原構想の実現を目ざした団体。正式名称は東亜連盟協会であるが、月刊機関誌『東亜連盟』によりこれが通称となった。1939年(昭和14)10月、木村武雄(たけお)らにより東京で創立され、翌年には会員数1万5000人、機関誌約3万部を発行するに至り、中国でも汪兆銘(おうちようめい)、繆斌(みようひん)らがこれに呼応する動きをみせた。石原の構想は、日本をアジアさらに世界の盟主とし、そのための「東洋文明圏」を結成するというものであった。東亜連盟はその一階梯(かいてい)として、日本、「満州国」、中国の一体化を目標とし、王道主義の統治を説く一方、「国防の共同」「経済の一体化」を図り、アメリカとの世界最終戦争に備えようとした。そのため日中戦争の収拾を図り対米開戦に反対したが、東条英機(とうじようひでき)内閣の圧迫を受けて勢力を失った。46年(昭和21)1月、占領軍により解散させられた






2007-03-10 (土) 21:46:22 (4906d)