同和地区

「同和地区」についてのメモ。同和地区とは…
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同和

同和地区 †

  • 「被差別部落」に対する主として行政上の呼称。

被差別部落 †

  • 参照:世界大百科事典
  • 都市部,農山漁村部のいかんを問わず,特別な差別意識により,交際,婚姻,就職等々の面での厳しい差別をこうむりつづけてきている集落を指す。別に〈未解放部落〉ともいい,行政上は〈同和地区〉と称する。
  • しかし,これらの呼称はまだ必ずしも全国的に普及しきっているとはいいがたく,特に被差別部落に対する差別の撤廃のための啓発活動が行政,教育などの面で積極的に推進されていない地方では,伝統的に受け継がれてきた独特の差別呼称が,こんにちもなお使用されている。
  • また,集落,村落,在所などと同義の語として〈部落〉の語を適用している地方が多いので,場合によっては誤解をまねきやすいが,被差別部落を略して〈部落〉とも称し,被差別部落に対する差別を〈部落差別〉,被差別部落にかかわる社会問題を〈部落問題〉,部落差別からの完全な解放をめざす社会運動を〈部落解放運動〉という。

被差別部落(同和地区)の成立 †

  • ほとんどの被差別部落については伝来の文献史料が過少で,とくにその成立事情については口碑のほかに頼るべきものがない場合が圧倒的に多い。
  • しかし,一般的には,被差別部落は封建的身分制度により,16世紀末〜17世紀に成立し,その後も時期を異にしつつ,北は東北の諸藩から南は九州の諸藩にいたるまでの全国各地において,漸次出現したものとみられる。
  • 部落差別が本格化したのは,江戸時代の幕藩体制のもとでのことであった。部落差別は,確かに明治維新以降の近代化による政治・経済・社会のひずみとも密接な関係にあるとはいえ,江戸時代における武士・百姓・町人・賤民の身分格差のなかで最底辺におかれていた賤民身分の人々に対する格別の差別意識に深い根を下ろしており,その意識が,社会的偏見に凝縮されて,交際,婚姻等々の面での苛酷な差別を,現代にいたるまで存続させてきていると考えられるからである。
  • 江戸時代における被差別部落の中核部分をなしたのは〈えた〉であったが,その名で呼ばれる人々の存在は,いちはやく中世,鎌倉時代末期の文献で〈穢多〉という漢字表記とともに確認される。江戸幕府としては,全国的支配体制の維持のためには統一的な身分制度が不可欠であり,兵農分離・太閤検地・戸口調査・〈かわた〉身分の確定等々をはじめとする豊臣政権の実績を基礎におきながら,いっそう徹底した形での身分制度の実現をめざした。そこで〈えた〉=〈かわた〉が被差別民の中核部分として確定される端緒が開かれたのであるが,それが制度的に明確になるまでには相当な歳月を要し,各地方の実情・独自性ともかかわりながら,漸次,年を追って強化されていった。





2008-11-09 (日) 19:06:23 (4458d)