日本赤軍

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日本赤軍 †

創設直後の1969(昭和44)年11月、山梨県大菩薩峠での大量検挙によって潰滅状態に陥った赤軍派の重信房子と奥平剛士が71年2月、偽装結婚してパレスチナ入りし、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の庇護、支援の下で海外赤軍派をつくった。当初、アラブ赤軍、赤軍派アラブ委員会といっていたが、74年以降日本赤軍を名乗った。72年5月、岡本公三ら3人によるイスラエル・テルアビブ空港襲撃事件以来、日航ジャンボ機ハイジャック(73年7月)、シンガポール・シェル石油襲撃(74年1月)、クウェート日本大使館占拠事件(同2月)、ハーグ・フランス大使館占拠事件(同9月)、クアラルンプール・アメリカ大使館占拠事件(75年8月)、日航機ハイジャック・ダッカ事件(77年9月)などの事件を起こし、逮捕中の元赤軍派メンバーや東アジア反日武装戦線のメンバー、殺人犯など計12人を奪還。また、ダッカ事件では身代金600万ドルも日本政府から奪った。81年のイスラエルのレバノン侵攻により、84年まで1時、レバノン北部のベカー高原の本拠からシリア、南レバノンなどに避難していたりして、ダッカ事件後の実力行動はなく、日本国内向けに連帯呼び掛けの文書宣伝活動をつづけた。85年5月、テルアビブ空港事件でイスラエルに抑留中の岡本が、イスラエル側とパレスチナ・ゲリラとの捕虜交換で釈放されて復帰した。86年2月、メンバーの山田義昭が警視庁に出頭して逮捕され、87年1月、ひそかに帰国中だった丸岡修が東京都内で逮捕、丸岡には93年12月、東京地裁で無期懲役の判決。フィリピン・マニラに83年以来住んでいた泉水博も88年6月、逮捕された。日本赤軍の活動メンバーは3、40人程度とみられ、警察庁は、重信ら15人を国際手配している。95年3月、メンバーの浴田由紀子が偽造旅券を使ってルーマニアに入国しようとして身柄を拘束され、日本側に引き渡されて逮捕された。88年ごろ以降、日本赤軍メンバーのハンガリー、チェコなど東欧諸国での動きが目立ち、96年5月31日には国際手配中の吉村和江がペルーで逮捕されて国外退去処分され、6月8日日本に移送されて逮捕された。戸平和夫ら他のメンバーもペルー入りして現地の極左ゲリラ「センデロ・ルミノソ」と接触していたことが分かり、新拠点づくりとみられた。

  • 現代用語の基礎知識1997





2007-03-10 (土) 21:47:16 (4096d)