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日本列島改造論

日本列島改造論

「日本列島改造論」の個人的な勉強メモ。
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日本列島改造計画

日本列島改造論 †

  • 田中角栄元首相が1972年の自民党総裁選挙において発表した国土開発構想。
  • 日本列島に新幹線や自動車道のネットワークの建設する、工業の地方への再配置などを内容とした

日本の産業構造と地域構造を積極的に改革して,過密と過疎の弊害を同時に解消し,産業と文化と自然とが融和した地域社会を全国土に広めることを目的としたもので,1972年田中内閣によって打出された構想。その骨子は,(1)太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散,(2)都市改造と新地方都市の整備,(3)これらを結ぶ全国的な総合ネットワークの整備の3点である。当時は一方では雄大な構想として評価されたが,他方で公害を全国に拡散するものであるなどという激しい批判も浴びた。地価対策を講じる前に列島改造計画を打出したことは土地の投機を招き,おりからの過剰流動性と相まって狂乱的な地価の暴騰を引起すことになった。

1972年6月に*田中角栄が自民党総裁選への立候補にあたって政策論を明らかにした著書。自民党の68年<都市政策大綱>を下敷きにし,田中内閣誕生によって90万部に迫る大ベストセラーとなった。再配置による工業の地方分散,25万人規模の新地方都市づくりと地方の生活環境整備,新幹線と高速道路による全国的な高速交通ネットワークの整備(全国1日通勤圏構想)などによって過密・過疎の同時解消をめざした。しかし開発地域の名指しや,資金の過剰流動性を背景に,土地投機と地価の暴騰を招く結果となった。

[列島改造論から低成長へ] 1960年代の日本経済の成長は,アメリカへの輸出に支えられた面が多い。とくに65年からアメリカのベトナムへの軍事介入が本格化すると,ベトナム特需への依存が大きな要因となっていた。そしてベトナム戦争による膨大な戦費とドルの流出は,アメリカに財政破綻(はたん)の危機をもたらした。ベトナム戦争のいっそうの激化によってドル危機はますます深刻となり,前述のように71年8月アメリカのニクソン大統領はドル防衛策として新経済政策を発表した。これはアメリカの世界経済への支配の終りを象徴するものだが,アメリカ依存型の日本経済にも大きな打撃を与えるものであった。佐藤内閣は円の変動相場制への移行を決定しこれに対応したが,高度成長を支える最大の基盤がなくなったのである。72年7月,佐藤内閣にかわって田中角栄内閣が成立したが,田中首相はこうした国際条件の変化にもかかわらず,〈日本列島改造論〉をかかげて,いぜんとして大型公共投資を中心とする経済成長政策を追い求めようとした。この結果土地投機ブームが起こり,それとともに物価上昇のテンポが速まったが,そこを73年10月,第4次中東戦争にさいしてのアラブ産油国の石油戦略によるオイル・ショック(石油危機)が直撃した。そのため同年11月,12月にかけては,敗戦直後と同じようなインフレ状態となり〈狂乱物価〉があらわれた。田中内閣は73年11月末の改造で福田赳夫を蔵相に入れて引締め政策に移り,石油需給適正化法,国民生活安定緊急措置法を公布してインフレ抑制に努めたが,74年にはいっても消費者物価の暴騰が続き,不景気のなかの物価高であるスタグフレーション現象がおさまらなかった。74年度のGNP は実質で対前年比0.2%減で,戦後はじめてのマイナス成長となった。74年12月,田中内閣にかわって三木武夫内閣が成立すると,総需要を抑制し,経済成長政策から安定成長政策への転換を政府としても図ることにした。高度成長は1960年代の終りからかげりをみせはじめ,ドル・ショックとオイル・ショックによってとどめをさされた形となり,ここで政府としても低成長政策へ転換することとなったのである。
 60年代を中心とする日本の高度経済成長は,世界に類をみない速度で進み,短期間に日本を世界屈指の工業国に発展させた。これが日本社会に与えた影響も甚大で,農山漁村の崩壊,都市の肥大化が進行し,第1次産業人口が減少して,第3次産業人口が急増した。この結果,社会構造や国民の生活様式および意識のうえにも大きな変化があらわれ,70年代以降は政治のうえにもそれが影響して,企業意識が定着し,現状維持的傾向が強まっている。 






2007-03-10 (土) 21:47:19 (2693d)