白豪主義

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White Australianism

白豪主義 †

  • かつてオーストラリアがとった、白色人種以外、特にアジア人の移民を制限しようとする主義・政策。
  • 今は行われていない。

非ヨーロッパ人のオーストラリアへの移住を制限しようという考え方。オーストラリアへは1851年の金鉱発見後,中国人労働者が多数入ってきたため,55年に中国人移民制限法が制定され,さらに1901年には有色人種の移住を事実上禁止する移民制限法が制定された。これは,異質な社会の形成を阻止して国民統合を達成しようとする意図から制定されたものであるが,アジア諸国から人種差別であるときびしい非難を受けた。60年代後半頃からアジア諸国との政治的経済的結びつきが強まるにつれてオーストラリアは移民政策の修正を行おうとしているが,なお国内の反撥は強い。

オーストラリアにおける白人優先政策。19世紀半ばからのゴールドラッシュ時の中国人鉱夫流入,19世紀後半のクイーンズランド植民地のサトウキビ農園における太平洋諸島のカナカ族の導入(ブラックバーディング blackbirding)で,白人労働者は警戒心を強め,各植民地単位で中国人やカナカ族の移民制限法を成立させた。この動きは1901年のオーストラリア連邦成立とともに,全国的な移民制限法(アジア人とは銘打たない点に注意)として拡大された。具体的には非白人の移住希望者に書取りテストを課して振り落とし,肌の色は絶対に表の理由としなかった。英語に堪能な非白人の場合は,どんなヨーロッパ系言語でテストしてもよかったので,必ず落とされる仕組みであった。世界総人口の半分が集中するアジアへの慢性的な恐れがあり,また,ただでさえ狭い労働市場へ低賃金で働く他人種が流入することは,労働条件の低下,ひいては国家経済を破綻(はたん)させかねないと,革新的なはずの労働党が真っ先に白豪主義を標榜し,1960年代まで党綱領に掲げ続けた。移民制限立法成立以前に市民権を取得していた非白人は,土地所有,雇用,営業,社会保障,選挙権などさまざまな点で差別をうけた。
 第2次大戦後,アジアの反共国家との交渉のため,また60年代のブラック・アフリカの台頭もあって白豪主義は徐々に弱まり,73年に非白人移住への差別は除去された。特に75年以降のインドシナ難民の大量受入れは,若干の摩擦をひき起こしつつあるものの,新しい国是となった〈ゆとりのある多民族社会政策〉を実現に近づけた。今日では白豪主義という言葉に,オーストラリアの白人は強い反発を示している。






2007-03-10 (土) 21:47:29 (3672d)