汎ヨーロッパ運動

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汎ヨーロッパ運動 †

  • cf.汎ヨーロッパ主義
  • 第一次世界大戦後の国土荒廃が、欧州没落論と精神的な悲観を色濃くしていた。欧州全域を巻き込んだ第一次大戦による国土の荒廃は、哲学者シュペングラーの「西欧の没落」に代表される精神的な面での欧州没落観を台頭させるほど、悲観論につながっていた。
  • また欧州には伝統的なイスラムの脅威とは別に、ロシア革命によってイデオロギーの危機にも直面することとなる。

カレルギーの「汎ヨーロッパ」 †

 こうした状況で、オーストリアのリヒャルト・クーデン・カレルギー伯爵は「汎ヨーロッパ」を提唱した(1923年)。

 カレルギーは、世界をアメリカブロック、英国ブロック、ソ連ブロック、アジアブロック、ヨーロッパブロックの5つに分けて、その中で欧州が衰退した理由として、他のブロックがどんどん力をつけているのに対して、欧州は第一次大戦の影響から脱することができないことが大きいと分析した。

 これを克服するために、小国に分かれて覇権を競う欧州の状況を打開し、アメリカのような欧州合衆国の設立を目指すべきだと呼びかけた。

 それまでは理念先行だった欧州統合論を政治運動に昇華させた点に大きなポイントである。自らの提案を出版するとともに、汎ヨーロッパ連合を設立し、各国にも汎ヨーロッパ協会を設けられた。

欧州統合の段階 †

 カレルギーの欧州統合論は段階論であった。

  • 第1段階
    • 欧州各国政府がヨーロッパ会議を開き、軍縮、関税、通貨などで共通の利益を検討する委員会を創設する。
  • 第2段階
    • 検討の具体策として欧州仲裁裁判所を設置し、相互安全保障条約を締結する
  • 第3段階
    • 欧州全体を対象とする関税同盟と通貨同盟を結んで、単一の欧州経済圏を作る。
  • 最終段階
    • 欧州合衆国が誕生する。ただ、欧州合衆国は対外的には単一の国家となるが、連邦内部ではそれぞれの国が最大限の自由を保有するとしている。

 カレルギーは、ドイツとフランスの協力関係を強調した。

 1926年にはウィーンで26カ国が参加した第一回汎ヨーロッパ会議が開かれたが、ヒトラーの登場とともに運動は挫折し、カレルギー自身もアメリカに亡命せざるを得なくなった。






2007-03-10 (土) 21:47:38 (3759d)