みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ
明治七年(一八七四)板垣退助・副島種臣(そえじまたねおみ)らが藩閥専制を排し、民選議院の開設を求め、左院に提出した意見書。自由民権運動の端緒となった。
1874年(明治7)板垣退助・江藤新平ら八名によって政府に提出された意見書。政府専制の弊害を批判し、民撰議院(国会)の一日も早い開設を要請したもの。自由民権運動の端緒を開いた。