律令政治

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律令政治 †

  • 7世紀の初頭になると、推古天皇の下で蘇我馬子と聖徳太子が中心となって、集権化をめざして冠位十二階、憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などの諸政策を試みたが、中央集権化は十分には達成されなかった。
  • 聖徳太子の死後、蘇我氏が強大化した為、645年に反蘇我勢力によって大化の改新が断行された。
  • 改新の詔で、公地公民班田収授法が制定されるが、その実現は白村江の戦いの敗北後即位した天智天皇の下でつくられた最初の全国的戸籍の庚午年籍の作成を待たねばならなかった。
  • 710年、元明天皇の時に平城京に遷都して以後は奈良時代と呼ばれる。この時代は、光明子の立后に代表される藤原氏の台頭に対して橘氏との抗争が激化するなど、天部朝以来の皇親政治(皇族中心の政治)から貴族政治への転換がおこなわれた政争の時代。政争の渦中、律令体制は、衰退。律令体制の再建は、人心の一新をはかって、794年に平安京に遷都した桓武天皇嵯峨天皇によっておこなわれたが、藤原北家の他氏排斥による摂関政治の確立期を経て、律令政治は平安時代半ばの10世紀初頭の延喜の治天暦の治で最後を迎えた。





2007-03-10 (土) 21:49:34 (3758d)