隷従への道

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ハイエク

隷従への道 †

計画経済は必然的に独裁体制を招来し、人びとから一切の自由を剥奪する。ソ連・東欧の共産党の理論指導者があらゆる手段を講じてその思想の伝播を妨げんとした書。

オーストリアの経済学者。ウィーンに生まれる。研究領域は経済理論,経済政策だけでなく,科学方法論,法哲学,社会思想など社会科学の広範な分野に及ぶ。ウィーン大学の学生時代,法律学だけでなく,F. ウィーザーや O. シュパンの経済学の講義に出席するとともに,E. マッハや M. ウェーバーの著作を読んだ。このことは,後の研究上の関心(とくに感覚論,認識論)に大きく影響したと思われる。またこの時期,数人の友人たちと〈民主主義学生連盟〉を結成し,後年まで続くハイエクの国家主義と社会主義双方に対する戦いの第一歩を踏み出していることが注目される。ウィーン大学で法律学博士(1921)と政治学博士(1923)の学位を取得した後,一時アメリカのニューヨーク大学で学んだが,1924年ウィーンに戻り,G. ハーバラー,F. マハループ,O. モルゲンシュテルンなどの社会科学者や A. シュッツをはじめとする人文学者たちとの学問的交わりを深めた。27年,フォン・ミーゼスの推挙でオーストリア景気研究所長,29年には〈貨幣理論と景気循環〉をウィーン大学に提出し同大学の講師となる。つづいて L. ロビンズの招きでロンドン大学で研究生活を送ることになるが,ここでは,貨幣の純粋理論,貯蓄と投資の関係,景気循環の諸原因などに関する J. M.ケインズとの大論争が研究の主要な部分を占めたといっても過言ではない。しかし同時に K. ポッパー,A. ブラントなどとの交友関係が,社会,法,自由に関する思索を深めていったことも見逃せない。あらゆる形態の社会主義を断罪した《隷従への道》(1944)などもこの時期に公刊されている。50年から62年までは,シカゴ大学の社会・道徳科学教授として,F. ナイト,G. スティグラー,M. フリードマンなどの研究グループの中で指導的役割を果たした。この時期の著作には《科学による反革命》(1952),《自由の憲章》(1960)がある。その後ヨーロッパに戻ってからは,畢生の大作といわれる《法,立法,自由》(第1部1973,第2部1976,第3部1979)を完成,この書の第3部のエピローグ〈人間的価値の三つの源泉〉はハイエクみずから知的遺言の書であると認めている。その他,社会主義下での経済計算論,価格機構論などに関する重要な貢献があるが,その業績の特色は,いずれも感覚論,認識論,社会科学方法論の強い基礎づけのもとに,体系的に展開されている点に存在するといえる。1974年,G. ミュルダールとともにノーベル経済学賞受






2007-03-10 (土) 21:49:49 (3762d)