alienated labor
ヘーゲルを批判したフォイエルバッハは、宗教や哲学の場面に見られる人間の疎外を問題にした。ジャーナリストとしてドイツのライン地方における労働者の悲鯵な状況をつぶさに観察したマルクスは、フォイエルバッハの考えをも観念的なものとして批判する。彼によれば政治や経済、産業の場面における労働者の疎外こそがより深刻なのである。
19世紀、特にイギリスでは選挙法の改革によって、財産の有無に関わらず投票権が普及した。けれども、そのため財産の不平等は政治闘争の主題から外れてしまい、かえって財産の不平等は野放しとなり、利己的活動の横行する弱肉強食の世界となってしまった。こうした社会において疎外されるのは労働者である。
生産手段も生活手段も持たない労働者は労働力を、生産手段の所有者である資本家に売らざるをえない。本来労働者が生み出した商品は、彼にとっての外部である資本家のものとなり、労働者は疎外される。
また、労働者が能率良く多くの商品を生産すればするほど、自分の労働力を生み出すのに必要な範囲、すなわち自分の暮らしを支えるのに必要な範囲を超えてしまう。
その結果、剰余価値が生まれ、資本家に利潤をもたらす。一方、労働の価値は相対的に減ってゆき、労働者の生活は悲惨なものとなる。こうして、労働者によって生産された商品は、生産されればされるほど労働者を苦しめる。商品は労働者を二重三重に疎外するのである。
本来、人類の結合を確保するものであった労働が、かえって人間の人間からの疎外という状況を生み出すのである。