袁世凱

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えんせいがい/ユアン=シーカイ

袁世凱 †

  • 1859〜1916
  • 中国の軍人・政治家。字(あざな)は慰庭(いてい)、号は容菴(ようあん)。
  • 李鴻章を継いで北洋軍閥の首領となり、辛亥革命では革命派と結び、清朝の宣統帝を廃位して臨時大総統に就任。中華民国初代大総統に就任。在任1913〜1915。
  • 独裁政治を行い、帝政実現を図ったが、反袁運動のため失敗。、

中華民国の初代大総統。
河南省項城県の生まれ。日清戦争前は、朝鮮で政治、軍事に手腕を発揮し、李鴻章の信任を得て、総理交渉通商事宜{じぎ}としてソウルに駐在し、朝鮮の内治、外交に干渉して属国化した。日清戦争の敗北後、軍制、軍隊の近代的改革を断行し「新建陸軍」を組織した。これが後の北洋軍閥および袁の政界進出の礎石となった。このとき、袁の養成した部将が民国後の北洋軍閥の首脳となる。李鴻章の没(1901)後、直隷{ちよくれい}総督兼北洋大臣となり、自己の勢力を強化拡大していった。日露戦争後、袁の伸張に対する満州人官僚の巻き返しによって、一時下野を余儀なくさせられるが、辛亥{しんがい}革命の勃発{ぼっぱつ}によってふたたび軍事の全権をゆだねられ、1911年11月に内閣総理大臣となり、清朝政府の実権を掌握した。12年2月、南方政府の譲歩を引き出し、清帝退位と引き換えに臨時大総統の地位につき、中華民国が成立する。その後、袁は、帝国主義列強の支持を背景に革命の成果を骨抜きにしていった。大総統の権限を制約しようとする議会の動きを、国民党首脳宋教仁{そうきようじん}の暗殺によって抑制し、さらにそれを契機に起こった「第二革命」を武力鎮圧した。13年10月には正式に大総統となって、国民党の解散を命じるとともに新約法を公布して独裁を強化し、15年には帝制運動を開始した。袁の政府には、自国の利権の扶植を図る多くの外国人「顧問」がおり、帝制運動の画策に大きな役割を果たした。しかし、日本の二十一か条要求に対する中国のナショナリズムの高揚、15年末の雲南蜂起{ほうき}を契機に各地で起こった反袁運動の拡大により、列強も帝制取消しを勧告、ついに16年3月、袁は帝制取消しを宣言した。その直後、討袁の続くなかで没した。






2008-04-24 (木) 15:55:13 (4691d)