55年体制

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1955年体制/五五年体制/五十五年体制

55年体制 †

  • 第2次世界大戦後の日本の政党システムの形成をみると、1955年に左派社会党と右派社会党が統一されたのに対抗して、保守政党の自由党と民主党が合併して自由民主党(自民党)が結成された。
  • この保守合同以降、自民党は1993年7月の衆院選挙で過半数が割るまで38年間、一貫して政権を担当してきた。この自民党が継続して政権を担当した政党システムを「55年体制」と呼ぶ。
  • 自社二大政党制の実現を予想する向きもあったが、実際は社会党は自民党の二分の一軽度以上の勢力にはならなかったことから1・1/2政党制、あるいは自民党が一貰して優位を占めていたことから一党優位政党制とも呼ばれたりする。この体制は1993年の非自民連立政権、1994年の自社さきがけ連立政権の登場を経て崩壊したとされている。

55年体制の成立 †

  • 保守合同・社会党統一
  • 独立回復と前後して,鳩山一郎,緒方竹虎,河野一郎,重光葵,石橋湛山,岸信介らの公職追放が解除され,政界復帰。
  • 緒方は第4次・第5次古田内閣で副総理となり,吉田の後継者と目されたが,追放解除組の大物の多くは,吉田に対抗して政権を狙う鳩山の周辺に結集した。
  • 1954(昭和29)年1月から本格化した東京地検による造船疑獄の捜査を,吉田内閣が自由党幹事長佐藤栄作の逮捕を指揮権発動で阻止して強行突破すると,鳩山周辺と改進党との合同構想が急速に進み,同年11月に民主党が結成された。民主党は翌12月,左右社会党とともに内閣不信任案を提出することとなり,吉田内閣は総辞職。鳩山内閣が成立。この過程で自由,民主両党間にしこりが残り,合同交渉は秘密会談で進められたが,1955(昭和30)年10月に左右社会党が左派優位の下で統一された。これが保守合同に拍車をかけ,翌11月に自由党と民主党が合同して自由民主党を結成し,「55年体制」が成立。





2007-03-10 (土) 21:29:07 (3933d)